週報  行橋ロータリークラブ
 
 
 
 
                 行橋RC第43年度  平成18年5月23日 第34号 
                             

  第2103回例会
 本日のプログラム
 ・クラブ協議会
  地区協議会報告1
   村上次年度会長




 










 

5月 30日
 次回のプログラム
 ・クラブ協議会
  地区協議会報告2
   村上次年度会長

      


 










 
 
 
 
                       第2101回例会記録 (H18.5.9)
 
*ロータリーソング 我等の生業、四つのテスト唱和
*お客様の紹介   全国企業家集団日本クラブ会長 篠田喜作氏
 
会 長 挨 拶                              会長 村上治郎
 ゴールデンウィークに、家族そしてマーニーと一緒に京都に行ってきました。部屋と新幹線の切符が取れればという、急な計画でしたけれども一泊2日で久し振りに京都を訪れました。
 京都に訪れる際に是非訪問したい場所があり、今回は初めてそこを訪れました。それは洛西天竜寺の幾分西に位置し、京都観光の名所になっています”大河内山荘”です。昭和初期〜中期の映画スター、大河内伝次郎が心血注いで建設した山荘です。豊前市大河内に生まれ、昭和初期に丹下左膳をはじめトーキー映画(無声映画)のヒーローになった大河内伝次郎は、もともと母親の影響で熱心な仏教信者であり、有名になった昭和6年からこの山荘の建設を始めました。
 京都の西部小倉山の麓のこの地は、鎌倉時代に藤原定家が"小倉百人一首”を選歌した場所で、彼は1,000坪から建設を始め、以後30年の歳月をかけて彼の財産の全てをこれに注ぎ込み、64歳で亡くなりましたが、その後、遺族がこの6,000坪の庭園を完成させました。山荘は平地の庭というより、山の麓から中腹にかけての素晴らしい借景庭園で、ここからは京都を西から一望でき、丁度南禅寺の山門が東から京都を望むのに対比した様な素晴らしい眺めが楽しめます。山荘の周辺は嵯峨野の竹林に囲まれており、散策には最適の落ち着いた場所です。彼は宇佐市の真宗本願寺派教覚寺の二女の方と結婚され、又お母さんの影響もあり、この山荘内に持仏堂をはじめ色々な仏式の建物を建設しました。この山荘は単にスターの別荘というのではありません。伝次郎の生命を凝集した創作であり、命をかけた創造の場でした。又山荘内には彼の主演の無声映画が流されており、又彼のポスターや経歴なども掲示されており、地元のヒーローに触れるには興味のある場所でした。
 私は彼のそんなにも美男子でなく、どちらかといえばあくの強い俳優でしたが、映画に対する真摯な考えを知り、改めてその生き方について共感する気持ちになりました。
 豊前市では数年前の「無声映画祭り」を催したのを契機に郷土出身の偉人を見直そうという機運が高まり、以後商工会議所の青年部は毎年命日に大辺家の清掃も兼ねて墓参りをしています。行橋でも又行橋ロータリークラブでも今一度郷土の偉人をを見直し、アピールする必要があるのではないでしょうか?
 
委員会報告
社会奉仕
(奥村洋明)


国際奉仕
(野正孝則)

会報雑誌
(野正孝則)

次年度幹事
(野正孝則)


出  席
(若山直樹)

幹事報告
(柴冨建實)


 
・簑島海岸清掃(インターアクトクラブ合同) ◆5月14日(日)10時集合
 行橋みやこRCとの合同作業の予定でしたが、今回は中止となりました。
 雨天の場合は魚市場に集合後、バーベキュ−を予定しています。

・4月末からマーニーのホームステイ先が末松さんから前田さん宅にかわりました。

・地区協議会出席者は報告内容の原稿を会報雑誌に提出し、御協力下さい。

・地区協議会出席義務者の名前と出席委員会を再度報告致します。
 会長(村上)幹事(野正)会員増強(夕田)R情報(奥村)職業(青井)
 社会奉仕(若山)米山(柴富)R財団(永岡)新世代(田中正)インターアクト(末松)
 ◆5月13日(土)13時 ◆アクロス福岡 ◆参加者は事務所前に10時30分集合

・会員数42 病欠0 欠席9 出席33 メークアップ0 出席率78.57%
                        

・ガバナーエレクト事務所:次年度日程 PETS 2007年3月17日(土)
                   地区大会 2007年4月14日(土)、15日(日)
                  地区協議会 2007年5月12日(土)
・地区会員増強委員会:H17年7月〜H18年2月の会員増強進捗状況結果
           目標達成率94.3%(3,589→3,384名)、増強率102.7%(3,295→3,384名)
 
幹事報告
(柴冨建實)








 
・行橋市体育協会  :協会財務委員会の案内 5/24 18:00〜
・青少年育成市民会議:役員・理事・幹事会開催通知
・国際ロータリー  :「The Rotarian」誌
・行橋みやこRC  :辻村寿三郎人形教室の案内(申し込みは行橋みやこRCへ)
・行橋「小さな親切」運動の会:会報
・例会変更
  行橋みやこRC 5/10(水)→14(日)蓑島清掃 9:40集合
  苅田RC    5/18(木)→20(土)〜21(日)別府親睦旅行

各委員長様 今年度活動報告書を5月30日(火)までにご提出下さい。
 
 
外 部 卓 話                 全国企業家集団日本クラブ会長 篠田喜作氏
【略歴】昭和4年4月4日(1929年)岐阜県岐阜市、岐阜大祭の日に商家の三男に生れる。青雲の志を立て25才、裸一貫で潟Lングモータースを創立、年中無休24時間サービスを20年間実践して、資本金2億円、従業員750人、年商200億円。全国屈指の内容を誇るディ−ラーに成長したが「日産自動車に乗取られ28年間手塩にかけた会社の全てを収奪されて52才で再び裸一貫となる。而し少しも屈する事無く巨大企業の横暴と悪徳商法と背水の陣を布いて戦う事10年、遂に資金に行き詰まり、裁判を断念する。この事を糧にして、一念発起し平成8年10月全国ベンチャービジネス集団、日本クラブを創立する。
 
 私が師と仰ぐ、 吉田忠雄氏の話を少ししたいと思います。
 吉田忠雄は、二十歳の青年となって、東京の古谷商店に勤め、そんな中で出会った商品が「ファスナー」である。しかし、その時代のファスナーは安くて便利だが、粗悪品が多く、すぐ壊れてしまうものばかりだった。(製品さえよければもっと儲かるのになあ)毎日不良品のファスナーを修理しながら、その製造過程について研究し、技術を覚えていった。売れ行きも良く、今後伸びる商品だと考えていたからである。しかし、古谷商店は当時の経済状況の悪化により倒産してしまう。吉田はファスナー販売の事業で独り立ちしようと心に決めた。
 昭和9年、今の東京日本橋に吉田は「サンエス商会」を創業することとなった。25歳の正月である。戦争へと向かう時代だった。その中でもサンエス商会は発展を続け、昭和13年には従業員が100名をこえた。東京都江戸川区小松川に85坪の工場を建設し、社名を吉田工業所とした。その後も順調に仕事を続けていた吉田工業所だが、戦局は悪化する一方であった。昭和20年の3月、東京を大空襲が襲った。吉田工業所も例外ではなかった。吉田は一旦従業員を故郷に帰すことにした。いざという時に身につけていた現金を従業員に分配し、こう告げた。
「きっとわたしはやる。やらなければゼロだ。やってもゼロかもしれない。どうせゼロならわたしはやるほうに賭けたい。落ち着いたら必ず連絡する」
そして8月、日本は終戦の日を迎える。そこで、従業員に工場に戻ってくるよう手紙を出すことにした。それに応えて、各地にいた従業員が、再び吉田の元に戻ってきたのである。そうして吉田工業株式会社と社名を改めた会社は急ピッチで復活することとなった。
 昭和21年商標をYKKとした。地球をファスナーが一回りしている壮大なロゴである。すでにこの時期に世界一のファスナー会社になることを指向していたのだ。昭和22年にはふたたび従業員が100名に達していた。ファスナー事業は順調であったが、かつて、材料の欠陥に悩まされていた吉田は、材料から製品まで一貫生産することを目指し、伸銅工場、撚糸工場、アルミ合金工場そして紡績工場などを建設、運営していこうと決めた。この様にして、世界一のファスナー会社が出来た。
 この世界のYKK創始者から融資を受け、今日の私があるのだと思います。
篠田様ありがとうございました。
 
 
 
第2102回例会記録(H18.5.14)蓑島海岸清掃(インターアクトクラブ合同)
 
 
 
 
みのしま海岸清掃後、恒例のバーベキューを楽しみました。 参加された皆様、大変お疲れ様でした。